デュアン・オールマン 俺は平和のために桃を食べるのさ
ローリングストーン誌の選ぶ歴史上もっとも偉大な100人のギタリストで第2位、改訂版では第9位。
その上位5人とは、
1位 ジミ・ヘンドリックス
2位 デュアン・オールマン
3位 B・Bキング
4位 エリック・クラプトン
5位 ロバート・ジョンソン
わずか3年ちょっとのプロ活動しかないデュアン・オールマンをよくぞ思い出してくれたという感想ですが、2位では天国のデュアンもびっくりでしょう。
時は1968年、当時20歳を超えたばかりのギタリスト「デュアン・オールマン」はアラバマ州のスタジオで南部のミュージシャンの録音に数多く参加し名を挙げていきます。
ウィルソン・ピケットのアルバムではデュアンのアイディアによりビートルズのヘイジュードが録音されその演奏から「スカイドッグ」というあだ名が生まれたそうです。
ボズ・スキャッグスの「10セントを俺に」では長尺のギターソロを聞かせますが、20歳を超えたばかりの若者とは思えない伝説的ともいえる演奏です。
倍以上生きてる私が聴いてもしびれます。
1969年、デュアンは黒人女性歌手アレサ・フランクリンのセッションのためにニューヨークへ行きます。
ニューヨーク市マンハッタン区イーストビレッジの東6丁目交差点にあったコンサート会場「フィルモアイースト」でジョニーウィンターの演奏を見たデュアンは「俺は1年後にこのステージに立つ」と言ったそうです。
マイルスデイビス、クロスビースティルスナッシュ&ヤング、デレクアンドザドミノス、グレイトフルデッド、ジェファーソンエアプレイン、キングクリムゾン、マウンテン、ジョンレノン、など数多くのライブ盤が録音されたが、
筆頭はオールマンブラザーズバンドで間違いない。
ロックバンド結成の夢のため、デュアンはフロリダのジャクソンビルに移り住み、ベースのベリー・オークリー、ギターのディッキ―・ベッツを誘う。
そして、ロサンゼルスでミュージシャン活動を始めていた弟のグレッグ・オールマンが加わり、二人のドラマーを有するロックバンドが結成されたのです。
デュアンにギターを教えたのは弟のグレッグらしく、後にディッキ―とグレッグのツインリードギター編成もありました。
Duane Allman: A Step-by-step Breakdown of His Guitar Styles and Techniques (Guitar Signature Licks)
オールマンブラザーズバンドは2枚のスタジオ録音盤を発表するとともに、ニューヨークのフィルモアイーストへの出演も果たし、1971年の段階で最も影響力の高いアメリカのロックバンドと評価されていたようです。
1、「オールマンブラザーズバンド」 と 2、「アイドルワイルドサウス」 ですが、今聞くと地味で雑な作品のような印象がありますが、最年長のデュアンが23歳ですし、次の歴史的名盤の前振りとして贔屓目に評価されています。
そのころ、デュアンはマイアミで録音を始めていた「エリック・クラプトン」に誘われてレコーディングに参加します。
デレクアンドザドミノス名義の作品のアルバム「いとしのレイラ」です。
このアルバムはクラプトンとデュアン・オールマンの違いが分かりにくいと思います。
ボトルネックはデュアンとして(クラプトンも弾いていた説あり)、ロックブルースフィーリングのギターはどっちが弾いていたのか完全には分かりません。
デュアンはギブソンSG(かな?)やや甲高い細い音です。クラプトンはストラトながら2マイク使用のこもったような音です。
という話(デュアンによる)ですが、それでも分かりにくいのは、デレクアンドザドミノスのライブでクラプトンがデュアン風の音色とフレージングをしていることで混乱させるのです。
二人の優れたギタリストの最盛期を録音したスタジオ版と言うことでロック史上に燦然と輝いている作品です。
1970年のフィルモアイースト
The Allman Brothers Band - Whipping Post - 9/23/1970 - Fillmore East (Official)
アトランタでのライブ
The Allman Brothers Band – Live At The Atlanta International Pop Festival July 3 & 5, 1
オールマンブラザースバンドおよびデュアン・オールマンの最高作品として名高い「フィルモアイーストライブ」はバンド3作目として発表されました。
前2作で発表された数曲と新しいオリジナル、ブルースの名曲で構成された2枚組LPです。
1、「スティツボロブルース」ではデュアンの薬指にはめた薬瓶による「スカイドッグ」スライドギターが堪能できる。
The Allman Brothers Band - Statesboro Blues
2、「誰かが悪かったのさ」もスライドギターの独壇場である。
3、T・ボーン・ウォーカーの名曲「ストーミーマンディ」ではデュアンとディッキー・ベッツのスローブルースのソロが聴きもの。
4、「ユードントラブミー」というブルースの名曲を元にワイドに展開するロック調の演奏はバンドとしての実力を見せる。デュアンのソロはクラプトンの影響もありそう。
5、「アトランタの暑い日」ディッキ―ベッツの新曲。ジャズロック調のインスト曲。
6、「エリザベスリードの追憶」アイドルワイルドサウスに収録されていた作品。
ディッキ―ベッツのギターが先導しゆったりと始まるジャズ風のモード曲。
そのメロディは2ギターのハモリで、都会的で幻想的であると同時に情熱的でもある。
先発はディッキ―、やや硬めのレスポールサウンドで男らしいロマンあふれるドラマチックな展開で魅了すると思います。
2番手のグレッグのオルガンソロは、あらかじめ作った物っぽいですがシネマの一場面のような目くるめく絵画的です。
短いキメの後、デュアンのギターが飛び込んできます。
最初から全開のソロですが、2度のスローダウンを経ていまだかつてなかったギターと言う楽器での天空を舞うような壮大な空間を現出させます。
まさに、最も影響力の高いギターソロと呼ぶべき名演奏です。
The Allman Brothers Band - In Memory of Elizabeth Reed ( At Fillmore East, 1971 )
6、ウィッピングポスト オールマンブラザースバンドによるオリジナル
この曲もジャズロック調の壮大な展開を見せます。
以上が1971年に発表された「フィルモアイーストライブ」のオリジナル版です。
同年、10月29日、デュアン・オールマンはハーレーダビッドソンを運転中にトラックとの衝突事故によりこの世を去りました。24歳。
リーダーを失ったオールマンブラザーズバンドは活動続行を発表、21世紀まで活発に活動を続けることになります。
Duane Allman (Guitar Play-along)
4作目はデュアンがインタビューに答えた「俺は平和のために桃を食べるのさ」という言葉から「イートアピーチ」というタイトルで発表されました。
2枚組で最初の面は新録音が納められ、C面にはデュアンと共に録音したスタジオ録音曲、B、D面にはフィルモアイーストライブの最長曲の「マウンテンジャム」。
1971フィルモアイーストライブは録音が見つかると共に次々とバリエーションが発表されまして、現在は6枚組CDで数日にわたるコンサートの全貌を聴くことが出来ます。
エリザベスリードの追憶だけで、4テイクと言うもの凄いものです。
若くして亡くなったデュアンへのリスペクトは後を絶たず、現代でもデュアン奏法にあこがれるアメリカ人ギタリストは多いそうです。
エリザベスリードの追憶ではピックを使ったライトハンド奏法が行われ、発表当時は謎の音使いとされていたそうです。
わずか3年間を駆け抜けた天才ギタリストはロックギター界だけではなく、ジャズフュージョンギターにも多大な影響を与えていました。
ジョントロペイなどそっくりでしたし、パットマルティーノのサニーもエリザベスリードの追憶の構成をリスペクトしたと思います。
ロック史上2番目に偉大なギタリストなのかは、判官びいきでしょうが、ロックギターの一つの頂点であったことは認めたい奇跡の録音でした。
まさに忘れられないギタリスト第一位です。
世界で唯一 フィルモアイーストのエリザベスリードの追憶の完全コピー譜
The Allman Brothers Band The Definitive Collection For Guitar vol.2