Jポップ、アニソンの原型となった無名ギタリスト
無名と言っても音楽制作現場のプロフェッショナルにとっては最重要ギタリストの一人。
ジェイ・グレイドン Jay Graydon です。
1949年にアメリカで生まれたロック系ギタリスト兼作曲家で、20歳頃から主にスタジオギタリストとしてプロ活動をしていたと言うので、キャリアは1970年前後からでしょう。
ただ、調べて見ても77年以前の活動状況は分かりません。
おそらく、テレビや映画音楽の仕事が主で現在では手に入れるのが難しいと思います。
77年に何があったのかと言うと、スティーリーダンというロックの二人組ユニットがアルバム「aja」を制作したわけですが、シングルヒットを狙って作ったポップチューン「ペグ」のギタリスト選びに難航していたのです。
スティーリーダンと言うグループは、歌手兼キーボードプレーヤーのドナルド・フェイゲンとギタリストのウォルター・ベッカーによる作曲とアルバム制作のユニットです。
「aja」の時点ではそうなっていますが、デビュー当時は凄腕ギタリストを有したバリバリのライブバンドだったんです。
何があったのか、ヒット曲「リキの電話番号」で素晴らしいソロを弾いたジェフ・バクスターをクビにするとバックをスタジオミュージシャンで固めるレコーディング専門ユニットに変貌しました。
「aja」の前作からのヒット曲「滅びゆく英雄」でソロを弾きまくったラリー・カールトンも参加していたのですが、スティーリーダンとしてはテスト録音をしたうえでボツにしたそうです。「aja」参加のリー・リトナーもたぶん同じ運命に。計6人の演奏を没にしたらしいです。
そして7人目として参加したのが、無名ギタリスト「ジェイ・グレイドン」だったのです。そのギターソロは短いながらも、二人を納得させ名盤「aja」のハイライトを飾ったのでした。
西海岸のポップロックシーンに強い印象を残したそのギターソロで、有名ミュージシャン達のレコーディングを勝ち取り「Mrギターソロ」とまで言われるようになったということです。
ホール&オーツの「ウェイトフォーミー」やリタ・クーリッジの「あなたしか見えない」やボズ・スキャッグスの「ゼンシーウォークトアウェイ」などなど。
77年のボズのアルバムでは弟子(?)のスティーブ・ルカサーが20歳で初録音しています。
79年のマークジョーダンのアルバム「ブルーデザート」では全曲参加で長尺のソロも多く実力を発揮しました。
さらに作曲家兼プロデューサーとしても頭角を現し、マンハッタントランスファーの最大のヒット作「エクステンションズ」ではディスコ風に作曲し直したテレビ番組のテーマ「トワイライトゾーン」におけるSFチックなギターソロが話題になりました。
このころには、ヒットメイカーたちがこぞってプロデュースを依頼するほどになっていたのですが、ギターソロはノーグッドという人も現れました。ギターソロが曲や歌手を超えてしまうからです。この部分が先輩であるカールトンやリトナーと大きな違いになります。
79年にアースウィンドアンドファイアーのための曲「アフター・ザ・ラブ・ハズ・ゴーン」を共作したピアニスト兼作曲家のデビッド・フォスターに声をかけ、スティーリーダンのようなレコーディングユニットを結成します。
このユニットは80年にアルバム「エアプレイ」を発表したきりですが、現在もAORの名盤選定に欠かせない作品です。
この時点で日本ではニューミュージックの全盛時代からJポップへの変化が始まるわけですが、アメリカ西海岸のAORを参考にしたスタジオミュージシャンたちが先導していきました。
当時のスタジオギタリストが最も参考にしたのがジェイ・グレイドンだったのです。
ほんの一時期でしたが、日本ではスタジオギタリストが音楽業界の花形だったことがあり、彼らがお勧めするラリー・カールトン、リー・リトナー、コーネル・デュプリー、デビット・T・ウォーカーなどと共に名が上がるジェイ・グレイドンも一時は人気ギタリストでしたが、ライブ活動をしないと言う致命的な欠点からすぐに忘れられていったのです。
日本人でグレイドンに影響を受けたと言えば、スタジオミュージシャンが結成したフュージョンバンド「パラシュート」(80~82年)のメンバーでもあった「今剛」と「松原正樹」ですが、この時代のヒット曲はこの二人が席巻していたのです。ギターソロに関してですが。
たぶん、タイトルに書いた「Jポップの原型はジェイ・グレイドン!」というのは言い過ぎでしょうが、グレイドンとその周辺のサークルの影響が最も強かった、とすれば正確だと思います。
ラリー・カールトンはロックからもジャズからも評価された人気ギタリスト、スティーブ・ルカサーのTOTOは大ヒット曲を多数送り出した人気バンド、デビッド・フォスターはシカゴ、ホイットニー・ヒューストン、マイケル・ジャクソン、セリーヌ・ディオンの代表曲を作曲、映画「ゴーストバスターズ」「フットルース」「セントエルモスファイヤー」などの音楽監督を務める超大物に、
それに比べてグレイドンはギター一本でマニアックなスタジオレコーディングの日々を現在も送っているようです。
Airplay For The Planet (REMASTERED)
90年代はスタジオレコーディングユニットで数々のリーダー作を作りましたが、影響力という点では70年代末期の、日本でだけ話題になったAORのちょっとしたギターソロにつきます。
誰もがポップソングの間奏はこうあるべきと望んでいながら、誰も出来なかったこと。ささやかでいてオリジナルな芸術でした。
そこに目を付けたのが世界で日本人だけだったのです。
グレイドンが主となっている作品の多くは日本でしか再発されていません。
スティーリーダンはajaの次作でラリー・カールトンに対してグレイドンのように演奏するように指示したそうです。上手くいかなかったようですが。
日本のポップ、あるいは少し遅れて完成したアニソンが他国のポップチューンと違う点の核心はグレイドンの影響にあると私は考えています。
ギターソロ技術屋としていいように使われ捨てられたような無名人を、遠く離れた日本のミュージシャンが最大の評価を与え、どこの国とも違う独自のPOPを創り上げたという事実にちょっと感動します。
もう一度評価しなおしてもいいんじゃないかと思います。
Jポップを復活させるために皆がすべきこと 「グレイドンを聴け。」